一 生 会
人生観: 私はこう思う!
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神戸雑談・人間観察

平成22年11月12日

 あの、猛暑もいつしか過ぎ去り、気がつけば今日は北風の吹く寒い日になりました。急いで近くのクリニックに赴き遅ればせながら、インフルエンザの予防注射をしてきました。うがいと手洗いは欠かせない季節になってきました。
 
 
今年の4月に近くの友人に誘われて、歩いて数分のところにある小学校の「みまもり隊(仮称)」に参加しています。当番として第1、第3金曜日の朝に校門や通学路で登校児童を見守り、挨拶運動にも協力しています。以前、2人の女子児童が襲われ、1人死亡、1人重症という痛ましい事件がありました。その2年後、今度はすぐそばの中学校で「 酒鬼薔薇事件」が起き、今でもこの周辺は子供たちへの安全意識が非常に高いところです。通学路に「怪しい人をみたら110番」と張ってあります。でも、よく考えてみると怪しい人ってどんな人でしょうね。いつも疑問に思っています。
 
 校門に立って、子供たちを見ていると色々な表情があるります。元気でいつもサッカーボールを蹴りながら走ってくる子、眠そうな目をして仕方なく登校しているような子、いつもきれいに髪を結んでリボンをつけている子、朝から母親がきれいに髪を結んでやっているのでしょう。子供たちの表情などを観察しながら、どんな家庭なのか,どんな性格なのか想像しています。2学期がはじまってからも、まだ1人で登校できず、いつも母親にしがみついて学校の正門までくる1年生の男の子がいました。母親は赤ん坊を抱いているのですが、子供は母親にしがみついて校門になかなか入ろうとしないのですが、母親は叱るでなく、せかすでなく、じっと見守っていると、男の子はやがて何度も母親を振り返りながら校門に入っていきました。その子も10月になると1人で学校に来るようになりました。子供の成長が良くわかります。
 
 まだ、夏休み前にある先生の服装に驚きました。髭ぼうぼうの顔、よれよれのシャツ、穴のあいたジーパン、突っかけのような靴、中身は立派でも服装がなってないと。男(女)は見た眼が1番ではないでしょうか。校長先生は必ず校門で子供たちを迎え、1人、1人子供を優しく見つめておられます。時には途中まで子供たちを迎えに行き、校門に入ってくるときは、子供たちが校長先生に群がるようにして登校してきます。
 
 子供たちを観察することによって、人を観察することが面白くなってきました。近くのバス停でバスを待ちながら、ベンチに座って目の前を歩く人を観察しながら色々と想像しています。1番気がついたことは、歩き方です。颯爽と歩く人は50人に一人ぐらいです。足を引きずる人、ガニ股歩き、せかせか歩き、色々な歩き方をみていても面白いものです。一人一人の顔が違うように歩き方も様々です。たまに颯爽と正しい姿勢で歩く人を見るとどんな性格だろうか、どんな職業だろうか、家庭状況はなど色々と勝手に想像してしまいます。

人を観察するというのは、面白いものです。会話をすると相手の話の節々にその人の生活状況、くせ、本音などが出てきます。相手の目の動き、表情、言葉の端々に十分気をつけることは、相手を知る上でとても参考になります。そのために1番大切なことは、よく聞くことです。相手の話しの腰を折らない。十分に聞く、いや、聞くというより聴くの方が適当でしょう。相槌を打ちながら、ときには質問をしながら十分に聴くことは相手を知るだけでなく、相手を気持ちよくさせ人間関係も良くなってきます。
 
 相手との話しの中で、時には心に突き刺さるような感じを受けることもあるのですが、そんなときは、口の中で小さく「BIL」と言っています。時にはモールス信号でいうときもありますが元通信生徒なら、意味はわかりますよね。聞くといえば、1年に1,2回位、忘年会の後などに友人と飲みにゆくのですが、ホステスのお姉さんとの会話は楽しいものです。さすが相手はプロ、どんな話を持って行っても十分に対応してくれます。普段その会話術を参考にさせてもらっています。
 
 その大要は、人の話を素直に聴き時には身を乗り出すような態度、途中で話を折らず最後まで聞く、話を弾ませることに長けている。悪口を言わない。目を見て話す。言葉により癒してくれるなどたくさんあります。いろいろと述べましたが、本当は人間観察なんて相手の表面的な面しか見えないのが現状です。人は年齢を重ねれば重ねるほど、自分を隠すのが上手になってきます。簡単に相手が観察出来て心の中が分かれば人間関係も苦労しませんし、第一、詐欺などにかかるはずがありません。それ以上は心理学の範ちゅうに入るのかも知れません。

 それよりも、自分自身のことのほうが、わかっていないというのが真実なのです。他人は見えても自分は見えないということです。いや、見ようとしないのかも知れません。毎日が反省の連続です。 

 

では、また。







神戸雑談・日本の環境問題と食糧問題

平成22920

 やっと涼しくなってきましたね。ほっと一息というところです。でも、また、あの寒い冬が来るのか。
近頃、色々な方のお話を聞く機会が増えています。先日、神戸大学保田茂名誉教授のお話を聞く機会がありました。

 今年は猛暑あるいは熱暑といわれ熱中症で多くの人が亡くなりました。この猛暑は地球温暖化のせいと言われ、テレビの気象情報では、地球上の海水温度が高くなったことを伝えています。海水に限らず水は一度温めると容易に冷めません。そのため、地球温暖化はこれからも更に進んでいくものと考えられます。原因は間違いなく環境破壊です。それにも関わらず人間はそれに対応することなく漫然と暮らしています。
 
 生物は親から命を貰い、成長し、親以上の数の子供を残して消滅して消えてゆきます。それは、子供が成長する過程で多くの子供が環境のために死んでゆくからです。日本は少子高齢ですが、この法則によれば、確実に日本人は滅びてゆきます。ほんの少し前までは、日本男子の持つ精子の数は1億2千万程度と言われていました。しかし今では2千万から4千万と言われています。受胎させることのできるぎりぎりの数だそうです。生物は繁殖能力を失うと絶滅します。
 
 人間以外の生物は食物を変えることは特別の場合を除き、変わることはありません。それは親が子供に食べ物を教えるからです。例えば、鳥は虫をとって雛に与えます。虫が安全で栄養のある食べ物であることを知っているからです。皆さんの朝食は何を食べていますか。御飯ですか?パンですか?先祖代々日本人は米を食べていました。ところが、高度成長期(昭和35年頃)から、朝食にパンを食べる家庭が多くなりました。親が子供に食べ物の変化を教えたのです。いみじくもその時代の親が私たち世代なのです。朝食のパンにはこってりとしたバターをぬり、副食にはハム、ソーセージ、ベーコンなど脂っこいものを取るようになりました。その結果、子供の肥満、高血圧、心筋梗塞などが増えています。このままですと日本の将来は暗澹たる思いです。更に、昼は豚骨ラーメン、夕食はたっぷりと脂をつかったスパゲッティとなれば、健康に良いはずはありません。

 
 ところで、人間以外の動物は、子育てはしますが、親の面倒は見ません。なぜでしょうか?それは、人間は安定した食料を持てるからです。親が食べ物を獲れなくなっても、子供が親に食料を与えることができるからです。それと他の動物にない親に感謝する気持ちを持っているからでもあります。いつ頃から人間は親の面倒をみるようになったのかわかりませんが、多分、人間が文明を持ち、安定的に食物を得られるようになった頃からではないでしょうか。

日本は少子高齢化を迎えていますが、このままではいつまで子供が親の面倒をみることができるのでしょうか?今の日本は4人に一人が65歳以上と言われています。これからも、更に老人が増えます。子供が親を養うことは不可能な時代に突入します。私たちの時代は実に良い時代でした。高度成長期で子供の数も少なく、貯金もでき、多くの人が家を建てました。これからはそうはいきません。

 

今の日本の食糧自給率は、エネルギーに換算して39%とか、あとは輸入に頼っています。農業に従事する人たちの数は減り続けています。60歳から65歳ぐらいの年齢の人の農業従事者が大半を占めています。乱暴な計算ですがこのままだと20年後の日本には農業従事者はいなくなります。理想の人口形成はピラミッドですが、20年後の日本は逆ピラミッドになります。

 

手元に、各国の食料自給率のグラフがあるのですが、それを見ると、人口1億人以上の国の食物自給率は中国100%、インド107%、EU97%、アメリカ132%、パキスタン112%(以下略)になっており、日本はわずか39%にすぎません。ロシアは火災などの被害で今年の小麦の輸出を停止しました。環境の変化など地球上で何かが起これば、間違いなく日本に食料は入ってこなくなります。アメリカや、ブラジルのようにトウモロコシをバイオエネルギーに変換する動きもあり、日本は将来とも安定して食べ物を得ることは危ないのが実態です。
 
 そう考えると、あと20年後には、私たちの子供や孫の食べる食料は乏しく、自分の生活だけがいっぱいになり、一番先に犠牲になるのは老人です。円高で日本は不景気になっています。企業は海外に進出し、若者の仕事がなくなり、老人人口が増加し、若者の数は減る一方です。老人たちは子供や孫に負担をかけない生活を考えなければなりません。(健康、自立、老人同士の互助など)。人間の体は老化するが心を老化させない「老後の青春」を持つことが大切です。
 
 老人に限らず、健康を保つためにきれいな環境と良質な食べ物が必要です。かって、経済の高度成長時代には「水俣病」や「イタイイタイ病」などがありました。いずれも環境破壊により食べ物が汚染されたのが原因でした。ですから、我々が健康に暮らしてゆくために環境問題は一番大切な問題なのです。きれいな環境を取り戻して良質なで安全な食物を自国で生産しなければなりません。そのために、農業に力を入れることが急がれます。
 
 イギリスでは山パン、ドイツでは黒パン(ライ麦パン)、フランスではフランスパンなど自国で生産された食べ物を取っています。それぞれの文化の中で生活しているのです。そう考えると日本人は従来の食べ物である米を主食とすることが必要です。今の日本は外国から輸入した多くの食物を食べていますが、これは、日本人の健康のみならず、日本文化を破壊してい

るのではないでしょうか。日本は、コメの生産が減り、野菜の生産も急降下をしています。畜産は増えていますが、これらの飼料は輸入しているのが現状です。

 

今の、地球の食物生産では、地球人口の80億人を養うのが限界だそうです。20年後には100億人以上になると思われます。近い将来、お金で食料が変えない時代になってくることは、ほぼ間違いありません。そうなると、子は自分の生活がいっぱいになり、親の面倒をみることはできなくなります。そんな日本になる確率は非常に高いのです。

 

朝は、パンにこってりとバターをぬり、副食に動物性たんぱく質を摂り、昼食はこってりとしたラーメン、夕食は脂でぎらぎらしたスパゲッティを食べて不健康になるより、朝食にはご飯と菜っ葉やわかめなどを入れたみそ汁、昼食、夕食もご飯と魚、野菜を中心とした伝統の日本食を食べることは、健康にも繋がり、環境破壊の防止と日本の食糧生産を高めることになるのです。

 

近い将来、世界で食料争奪戦争が起きるかもしれません。その時のためにも日本は食料の自給率を高めることに全力を傾けることが、急務なのです。

 

では、また。








神戸雑談・民主党の党首選挙

平成22年9月11日

 少し、涼しくなってきました。同期のみなさんお体の具合はいかがですか。それにしても今年の夏の暑さにはまいりました。

大病を患ってから1年以上過ぎました。癌はおおむね5年をすぎると安心とか。私のような血液の病気は、一生付き合っていかなければなりません。治療の始めに医師は「あなたの病気は悪性で週ごとに進行しています。抗がん剤をがんがんやりましょう」と言われました。2度とあの苦しみは味わいたくないものです。

 

さて・・・

今、民主党の党首選挙で日本中が大騒ぎになっています。と言っても選挙権のない自分にとっては、対岸の火事ではありますが。

先の衆議院選挙で、古い自民党体質に飽きた国民が一度、民主党に政権を与えてみたらと民主党を選びましたが、こいつらはどうしようもないアホ集団だったことが判ってきました。

 

 今度は「落ちぶれてきた日本(民主党)を立て直すために、剛腕とよばれる小沢一郎に首相をやらせてみたら」という声も高いのですが、この「一度やらせてみたら」という言葉は危なくて仕方がありません。民主党は自民党に比べて清廉潔白だとの思いがあったようですが、小沢、鳩山を見るとそんなことは全くありません。

 

 おまけに正しい歴史も知らず、政治のやり方も知らず、ただ、政権を持った旨味に喰らいついて 菅、小沢両陣営が権力闘争に血道をあげています。

菅は「雇用、雇用、雇用」と馬鹿の一つ覚えのように叫び、小沢はできもしない、マニフェストの完全遂行や沖縄の基地問題について、米国、沖縄が納得できる解決をすると言っているが、どうするのかは応えていません。どちらにせよ外交、防衛はお寒いかぎりです。

 

やはり、鳩山と同じ穴の狢です。いずれにしても支持母体は労働団体、日教組、市民団体などの左翼が頼みです。しかし、小沢は自民党出身で古い体質を持ち、ダーティな政治家で、清廉潔白ではありません。労働組合、日教組などの左翼団体をバックに権力を握ることだけが生きがいなのでしょう。それにしても国会対策は大丈夫でしょうかね。それと検察審査会も。

 

民主党の目的は、国家ビジョンもなく、ただ自民党から政権を取ろうとしただけで時流に乗り、それが運も手伝って成功したのですが、政権を取った今は蝉の抜け殻みたいなもので、中身が全くないと言っても過言ではありません。

 

それにしても、60歳を過ぎたおじんが母親から1か月1500万円のお小遣いを貰い、裕福な家庭に育ったものですから知らなかったと言い、沖縄の米軍基地は最低でも県外と言い切り、それができないとなると愚かな首相だったと自嘲して首相を投げ出しました。こんなアホな首相は今まであったでしょうか。諸外国から馬鹿にされ、日本の地位は更に落ち込みました。今の日本に政権はないようです。中国には舐められ、アメリカも呆れて日本を見放そうとしています。

 

社民党も政権に喰らいついて、政権の旨みを味わおうとしたのですが、瑞穂君の一存で連立を離れました。しかし、辻本は政権の旨みを忘れられず離党してしまいました。民主党の中にも旧社会党系が多数います。これらも、反自民から発したもので、政治的手腕など持っていない衆愚の集まりのようです。結局、反自民と政権を取るだけの集まりですから、日本をどのようにするのかのヴィジョンはありません。早く、民主党政権をつぶさないと日本は滅びに向かっていくことは間違いありません。

 

あ、そうそう、少し言い忘れました。菅が首相になったら、小沢を特別のポストに起用するのだそうです。ですが、小沢は幹事長以外に受けるとは思いません。金の旨みを知っているからです。

 

「首相を止めたら政界に残って影響を与えてはいけない」と叫んだ鳩山も居座り、トロイカ体制になるとか、政権の旨みはたまらないのでしょう。鳩なみの小さな脳しかない人はさっさと政界から引くべきです。残れば残るだけ、恥を晒します。(私、トロは大好きですがイカはあまり食べません)

 

ついでにマニフェストですが「政権を取ったができません、見直します」では済まされません。マニフェストは国民との約束です。それが許されるならどの党も選挙のとき大風呂敷を広げても良いことになります。マニフェストの意味が全くなくなってしまいます。

 

後わずかで、菅、小沢のどちらかが首相になります。

どちらがなっても日本の上昇は期待できないようです。







神戸雑談・梅原猛の思想
平成22年8月15日

 連日暑い日が続いておりますが、同期の皆さまはいかがお過ごしですか。暑いのもあと少し、健康に十分注意してください。

さて、「地球と人類を救う東方思想と文明の中」 で彼は、次のように述べている。地球破壊の問題は近代西洋文明の問題であり、故に、この問題に対する解決の道は東洋文明、すなわち東アジア文明(東洋思想)に求められるとしている。かって、人類は2度生産革命をした。
一つは小麦・牧畜と言う生産手段であった。2度目の生産革命は工業と言う生産方法である。奇しくもマルクスが述べた「歴史は生産による」と述べたことと一致している。

農業生産革命は、紀元前1万年位前ごろ、西アジアのイスラエル付近で野生の小麦を播いたところ、肥沃な土地になり生産が拡大したことから始まった。しかし、この生産革命は人類の自然破壊の始まりでであった。森を破壊し、人類による自然破壊が始まった。小麦・牧畜の生産革命はこれらの生産によって得られた富を土台にして紀元前3000年ごろにチグリス・ユーフラテステス川流域のメソポタミアにシュメール人によって最初の都市文明が作られた。さらにそのような文明がナイル川流域のエジプト、インダス川流域の西インド、少し遅れて黄河流域に中国に作られていった。(世界の四大文明)しかし、メソポタミア文明、エジプト文明、インド文明の跡は、見事な砂漠と化している。文明は森の近くで発生し森を破壊して滅びたのであった。

この、自然破壊は深刻な問題である。人間は自然を破壊する中心にすわり、自我に対する自然を自然科学によって支配し、己の生活を豊かで便利にすることに成功した。と同時に生物を絶滅に追い込む危険性を持っている。生物の死は人間の死につながる。人間は遠い未来に起こるであろう死より、己の生活を豊かにし、便利にすることに熱中しているのである。

東アジア文明は小麦農業と違った農業を発展させた。稲作農業である。
ギリシャ哲学やキリスト教は小麦・牧畜農業を生産の基礎として持つ文明から生まれた思想であり、仏教と儒教は稲作農業を生産の基礎とする文明から生まれものであった。
ちなみに儒教は倫理を個人とするものではなく、人間と人間の間に成立する徳にあり、君と臣(義)、父と子(親)、友人と友人の(信)のごとくである。ギリシャ哲学のアリストテレスはポリスのなかにおける個人の倫理学であり、人と人の間には存在しないものである。この思想はキリスト教にもよく表わされている。旧約聖書の創世記にある「ノアの箱舟」は邪悪な人間の抹殺を意図している。

儒教に対して、釈迦仏教の中心の倫理は、欲望の否定、あるいは制限であり、釈迦は人間
の苦はすべて欲望から生じるとし、欲望にとらわれない透明な心情を悟りと捉えた。大乗仏教はすべての欲望を緩和し、何物にもとらわれない心(空)の境地を最高の悟りと考えたが、やはり人間の欲望に対して否定的であることは否めない。悟りを得て仏になれるのは選ばれた者のみである。さらに、中国には道教(老荘)の思想がある。自然を尊び、人間の生活を自然に従わせようとする思想である。同じように日本の神道も自然崇拝の思想である。

日本の仏教は「山川草木悉皆成仏」であり、人間だけでなく、動物や虫、山、川、草、木なども成仏になれるという倫理になっている。 この思想は遠く、狩猟、採集の時代の自然崇拝の神道が仏教を人間中心の仏教に変えてしまったのである。
個人でなく人と人とを重視する儒教、欲望の否定及び抑制を説く仏教、自然を崇拝し、自然と人間を一致させようとする道教の思想は、キリスト教及びギリシャ哲学とは相容れない。
ヨーロッパの思想の主流は人間というものに自然を支配する特権を与える思想から脱却していない。すなわち、小麦という植物の支配であり、牧畜は人間の家畜という動物に対する支配である。こういう思想から個人中心の思想が生まれ、そういう思想が、科学文明を発明し、工業文明という稀代の革命を起こしたと言える。この思想は今や、世界主流の文明となっている。この文明は確かに巨大な力を所有し、人類に想像もできないような豊かな世界を与えた。しかし、人間は環境破壊という深刻な問題の中にある。多くのの生物を絶滅に追い込む危機の中にあり、それは、人類の死に通じているのである。人類はやがて来る死よりも己の生活を豊かにし、便利なことに熱中している。

人類生存のための哲学・思想は家族、国家、人類との関係で考える儒教の再考が必要である。儒教、仏教、道教の考え方は何らかの意味で稲作農業という生産方法と関係があるものであろう。稲作農業は森を尊重せざるを得なく、小麦農業よりはるかに共同の労働が必要であり、それゆえ人間と人間との関係、および欲望の制限を重視せざるを得ないと思われる。

最後に人間生存のための哲学・思想として、人類の生命を生物の発生・進化から考え、欲望の制限と自然に随順させる道教と仏教の再考、家族・国家・人類との関係で考える儒教の再考、自然との共生を生き方とする先住民の知恵を認識すべきと述べている。  おわり

梅原猛
1925年3月20日仙台で生まれて京都大学哲学科を卒業、哲学者。変人という人もいるが、しかし、最も魅力的な人だと言われている。その哲学思想は多くの人に愛され、読まれ、親しまれている。日本仏教を中心において日本人の精神柱を研究。西洋哲学には否定的な立場を取っている。「地獄の思想」、「美と宗教の発見」、「哲学する心」など多くの著書がある。
神戸雑談・マルクス主義

平成22731

1848年マルクスはフリードリヒ・エンゲルと有名な共産党宣言を発表した。

私がまだ、20歳そこそこのころに、共産党宣言を読んだ。まだ、知能は青く幼く、社会的な経験も薄く、全く理解のできない世界だった。

 

最初の言葉「妖怪がヨーロッパ中を歩き回っている。共産主義という妖怪が」のみ頭に残った。弁証的唯物論や唯物史観など全く理解不能だった。このような言葉を理解できるようになるためには、古代の哲学者デモクラティスをから、プラトン、アリストテレス、デカルト、パークリ、カント、ヘーゲルなど数多い哲学者を理解する必要があるのではないか。唯物史観については、最後に記述する。

 

マルクス主義は別名科学的社会主義とよばれ、ソ連共産党では科学的共産主義とよんでいた。それまでの哲学者とは違っていて、現実についての哲学者、行動の哲学者であった。ギリシャの古代哲学者タレスからおおむねキルケゴールまでの長い間の哲学者は解釈ばかりで行動が伴うことはなかった。だが、マルクスの思想には現実があり、政治的な目的があった。また、マルクスは哲学者だけでなく、社会学者、経済学者でもあった。20世紀になってレーニン、スターリン、毛沢東などがマルクス主義に感銘し推し進めた。

 

マルクスの主張するところは社会の経済という力が変化をリードし、歴史を動かすということだった。古い哲学者は自分たちの理論が現実を良くするなどと考えることはなかった。古代ギリシャでは生産は奴隷によって行われ、市民たちが改革とか発明とかを考える必要はなかった。マルクスは社会の仕組みを上部構造と下部構造に分け、物質的、経済的、社会状況を下部構造、政治制度や法律、宗教、芸術、哲学などを上部構造と考えた。

 

マルクスによればどの時代にも大きな社会的階級による対立があった。古代ギリシャでは自由市民と奴隷、中世では封建領主と農奴、貴族と市民、19世紀の資本主義社会には資本家とプロレレタリア(労働者)の対立だった。すなわち持っているものと、持たざるものとの戦いである。生産手段を持っている者と持っていないものの対立であり、権力者が生産者に権力を渡さないならば、革命という変化しかないとマルクスは考えた。
 
 資本主義の世界の労働は他人のために働く。働けば働くほど労働者以外のものが潤う仕組みになっている。働き続けることによって、労働は労働者自身ではなくなり、労働者は人間であるという尊厳を失ってしまう。マルクスはこれを「疎外」と名付けた。19世紀のヨーロッパの労働は劣悪な環境で長時間働き、子供までもが長時間働かなければならないような、社会になってしまった。賃金は安く、女性は街角に立たなければ暮らしが成り立たないような事態
であり、人間としての尊厳である労働が労働者を動物にしてしまった。

 

たくさんの人々が劣悪な条件で商品を作り資本家をますます裕福にしてしまうとし、マルクスはこれを「搾取」と名付けた。また、商品の売り価格から労働者の賃金や生産コストを引いてまだ残る。すなわち儲け(利潤)を「余剰価値」とよんだ。資本家はこれを新たな資本として投資して更に設けることができる。更に土地所有者の土地に関して得る地代や利子なども余剰価値だ。

 

マルクスは資本主義は矛盾を抱えており、いずれ滅びると考えていた。資本家は儲けるために次々と工場を新設する、商品は安くなり必然的に労働者の給料は安くなり、購買力が弱くなってくる。悪循環になる。そこでプロレタリアが立ちあがりブルジョワを牛耳る新しい階級社会になる。

 

マルクスは分配の原則から、低い段階と高い段階に分け、低い段階では「人々は能力に応じて働き、それぞれが必要に応じて支払われる。」高い段階では「能力の応じて働き必要に応じて受け取る」とした。そして過渡期をプロレタリア独裁とした。

 

マルクスは資本主義から共産主義になるための改革は資本家(上部構造)を労働者(下部構造)が革命(暴力)により打ち倒さなければならないと考えたが、ドイツ社会民主党のベルンシュタインが非合法手段ではなく穏やかな権力移行を主張したが、多くから「修正主義」と批判され否定され、上部構造は暴力によらなければならないとの思想は変わることはなかった。

 

マルクス(共産主義)の矛盾

マルクスは製品が増大し、それによって労働者が過剰になり資本主義は没落すると考えた。しかし、これは通常発生する景気の上下に過ぎない。日本では景気対策のため財政出動をさせ失業者対策を行っている。また、資本家も漫然とした経営を行っているわけではなく、生き残るために、多くの情報を集め、技術を向上させるなどで経営の存続に努力している。現在の一般労働者も株式を買い、土地に投資するなど資本家と労働者の区別はない。また、労働争議などにより、給料の値上げ、福祉など生活環境は改善され、マルクスの時代のような悲惨な労働社会ではない。

 

レーニン、スターリンは科学的共産主義と主張したが、労働者を解放するどころか、逆に労働者を抑圧し、一部のもの(党)が上部構造として君臨し、独裁制全体主義になった。秘密警察による過酷な取り調べ、収容所における強制労働など強力な権力を持った暴力による政権だった。レーニンは共産主義が普及したら階級闘争はなくなり、世界から戦争もなくなるとした

が、戦争の原因は経済的なものだけではない。国家的な名誉心、野心、資源の争奪、領土の拡大などが戦争の原因である。結局、科学的共産主義と自称したソ連は資本主義国家であるアメリカに追いつくこともできず崩壊してしまった。

 

更にマルクスは資本主義について徹底的に分析しているが、共産主義の体制について詳しく分析説明しておらず、中途半端な感は否めないと思われる。結局マルクス主義は資本主義に勝つことはできなかった。人間のやることは間違いだらけだ。

 

唯物史観(唯物的歴史観)とは

 

1 生産力の発展段階に対応する生産関係の総体が社会の土台である。

 

2 この土台の上に法律的・政治的上部構造が成り立つ。土台が上部構造を制約する。

(土台=下部構造)

 

3 生産力が発展すると、ある段階で古い生産関係は発展の桎梏(しっこく)に変わる。その

とき社会革命の時期が始まり、上部構造が変革される。

 

4 生産関係の歴史的段階にはアジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的生産関係が

ある。

 

5 近代ブルジョア的生産関係は最後の敵対的生産関係である。発展する生産力は敵対

を解決する諸条件を作り出す。それ故、資本主義社会をもって人間社会の前史は終わる。

(ウィキペディアから)

 

注・桎梏(しっこく)=「桎」は足かせ、「梏」は手かせの意、人の行動を厳しく制限して自由を

束縛するもの。

 

おわり

推薦図書:ソフィーの世界(副題、哲学者からの不思議な手紙) 日本放送協会発行 ヨー

スタイン・ゴルデル著 池田香代子訳





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